絶縁状態だった母と関係修復した話
みなさん、こんにちはฅ(๑'Δ'๑)齋藤です
お洗濯大好き星人にとって、梅雨の時期は悶々とします☔️
前回のブログを読んで下さった皆さん、優しいコメントを下さった方々
執筆した物にリアクションを頂ける事は、純粋に嬉しいです❤️
今回はタイトルの通り、絶縁状態だった母親と、療養期間中に和解した話を書こうと思います🖋
親子の真っ向勝負なので、正直笑える要素は少ないです。
何が原因で私が「うつ病」を発症したのか、その根源の部分についてもお話します。
令和3年、齋藤史上最大の親子喧嘩⚡️
自己肯定感は、勝手に低くはならない
ほんの数ヶ月前まで、私は母親と絶縁状態に近い関係にありました。
自ら母親と距離を置くようになったのですが、それは、私の自己肯定感の低さの原因の一つとなったのが、母親だったからです。
因みに、原因となったもう一人の人物はパワハラ&セクハラ上司。(そんな奴が今会社経営してるとかマジ世紀末😇)
数年前に「うつ病」と診断されてから、カウンセリングを受けるようになり、心理療法士の先生と、原因を紐解いていくうちに、辿り着いた要因の一人が母でした。
先生から聞いた話と、私自身の経験上ですが、精神疾患を患っている人の中でも、特に自己肯定感が低い人は、育った家庭環境の影響が大きいと感じます。
自己肯定感が低いと、デメリットしかありません。
ただ、長い年月をかけて築き上げられた人間の思考の癖は、そう簡単には変わりません。
根気よく努力して、改善するよう努めるしかないのですが、ここで、性格がひん曲がっている私・齋藤は、一つの疑問にぶつかるわけです三ʕ̡̢̡ʘ̅͟͜͡ʘ̲̅ʔ̢̡̢
正直、カウンセリング代ってそこそこな料金なんですけど、私は心理療法士の先生に「週1ペースで通ってもらって」と言われた瞬間、開いた口が塞がりませんでした笑
仮に週1で通ったとして、何ヶ月かかるか分からない心理療法を続ける…
対極的な性格の我が父と母
私の母親は、否定の鬼です。
己の価値観が偏っていて、視野が狭いという自覚も無いので、偏見や先入観がとても強く、新しい物事を毛嫌いします🌥
絶縁状態になる前、「うつ病になった」と伝えた時も、無神経な偏見ワードを大量にぶつけられ、「この母親には、娘の病気を理解しようとか、寄り添おうという気持ちが無いんだなー」と悟りました。
母と父は、性格も考え方も真反対に等しく、父は誰にでもすぐ感情移入し、会ったことの無いテレビの向こう側にいる赤の他人でさえ、同じように苦しみや悲しみの感情に寄り添える人です。
人の痛みに寄り添い、当事者と同じ目線に立って、同じように涙を流せるのは、紛れもなく強くて優しい人だと思います。
一方母は、他人に興味が無いので、感情移入なんてしませんし、涙を流す事なんて皆無に等しいです。
共感能力が著しく乏しい人_(┐「﹃゚。)_
だから、私の病気に対しても興味が無いし、自発的に調べようとか、気持ちに寄り添おうなんて思わない。
…というか、そもそもそんな発想すら湧かないんだろうな〜と思います。
頻繁に連絡を取るようになったおかげで、父とはとても仲良くなったのですが、これがまた母的には面白くなかったんでしょうね〜( ‾᷄꒫‾᷅ )
自分に非があるとも知らず、子供みたいにへそを曲げ
なんて文句ばかり父親に言っていたようです。
母親の言動は、私の脳みそで理解出来る範疇を超えている。
けれどもそれは、母親から見た私も同じなのかもしれない。
お互いに「何コイツ( ◣言◢)」とか思いなら、気付けば3年近く連絡を絶っていました。
同級生の訃報を機に、再び母と話すように…だがしかし‼︎( ꒪⌓꒪)
そんな絶縁状態だった母と、再び話すきっかけが突然訪れました。
父から電話がかかってきたので、いつも通り出ると
父との電話を切った後…
☎️prrrrr...
そして訃報をひとしきり聞いた後
母親のターンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
親らしい「心配してた」アピールをしつつ、結局自分目線の意見しか言わない母の得意技。
「親だから本当に心配してたんだよ!」と思った方、”齋藤家の独裁者”こと、自己中モンスターを侮るなかれ🤨
この人(母)、私が病気の症状で苦しんでいる最中、ずーっと真剣に考えていたのは実家の改築の事だけですから笑(父からしこたま愚痴を聞いたw)
ことごとく他人に興味が無い人。
家族に対しても、自分が興味のある事柄で無い限り、一切興味を示さない。
興味は示さないけれど、否定はしてくる。
最近、母は人としっかり向き合う事が苦手なんだと気付きました。
私達、子供達ともきちんと向き合って来なかった。
だから、今実家で両親と暮らしている私の妹は、どんな感情も表に出さない、氷のように冷えきった人間になってしまいました。
娘が2人ともおかしくなっているのに、「自分にも非がある」なんて微塵も思っていないから、マジで脳内お花畑って羨ましいわ!
齋藤vs母⚡️地獄の大口論バトル📣母の領域展開が発動🤞🏻
同級生の訃報連絡を機に、 自然と母から連絡が来るようになりました。
最初の頃は他愛もない話をしていたのですが、ある時期を境に事態は急変します🌀
前回のブログでも書いた、「双極性感情障害」の躁状態の症状が見られ、希死念慮に取り憑かれていた時期に電話をした時の事(※この時はまだ「双極性感情障害」の診断を受けていません)
無神経発言キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
どこまでも地雷を踏み抜いていくスタイルの母!笑
↑この発言も、前回のブログで記載した「否定される事に過敏になっていた時期」に重なるのですが、私が「否定される事」に異常なほどキレる現象の根源はココ(病気の原因となった、否定されて自己肯定感が低くなった事)から来ているのでは🧐と思われます💡
私の存在を否定するんじゃねええ!!!
って、この時期はやたらと思っていました笑
この後のやり取りがまた悲惨で、会話がまともに成立してなかったです。笑
父の場合、私が多少感情的になっていても、冷静に話を聞いてくれるのですが、母の場合は私と同じ温度で反論してきちゃったんですね。
ただの親子喧嘩だったら「意見のぶつかり合い」で済む話かもしれませんが、私の母の場合、娘の私が精神疾患(しかも症状が悪化していた時期)に、無自覚に相手の意見を否定したり、より精神状態を追い込むような発言をするのは、家族の対応として宜しくありません。
家族が精神疾患になった場合の接し方は、ググればすぐに出てくるのですが、母はなーんも知らなかったんですね〜。
調べた事も無いし、知識も無いから、結局こちらに答えを求めるばかり。
母の領域展開キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
「困る」というのは、母自身が「困る」という事。
「娘が死んでしまったら悲しい」よりも、「娘が自殺したら、自分(母)が周りからどんな目で見られるか」が、母が懸念する最優先事項。
如何にも、世間体や外面を気にする母らしい発言。
狭い田舎なので、噂話はあっという間に広まるし、村八分的な考え方は当たり前。
排他的意識が根強く残る地元。
古びた考え方がいつまで経ってもアップデートされないので、「今2021年なんすけど、それって西暦何年の考え方っすか??」みたいな事が多々ある。
母が放った「困る」という言葉の背景が、脳内を超高速光回線のように駆け巡り、瞬時に沸点はMAXまで上昇三ʕ̡̢̡ʘ̅͟͜͡ʘ̲̅ʔ̢̡̢
会話が地獄。笑
思い出すだけで疲弊する笑('、з っ )っ
私の希死念慮も、母親には全く理解が出来ない概念で、「お前が本気で死ぬと思ってない」とか平気で私に言っちゃうんですよね。
母は人の痛みに鈍感なので、目に見える外傷だったり、大病を患ったりでないと
と、脳内処理出来ないみたいです。
人生史上最大の敵、ラスボスはこいつかよ!って気分になりました。笑
大バトルの後、急に病気に理解を示すようになった母
大口論から数日経ち、再び母から連絡がかかってきました。
☎️prrrrrr...
その後、母も病気について自分なりに調べ、理解を示すようになり、否定的な発言をする事も無くなりました。
キレて、発狂し、泣き喚きながら話す娘のぶっ壊れ具合は、母にとって衝撃的だったらしく
と感じて焦ったようです。
齋藤、約5年ぶりに実家へ帰る
☎️prrrrr...
こうして、人生史上最大の親子バトルを経て、関係は修復し始めました。
未だに、「この母親とは一生考え方も価値観も相容れないな〜」と感じます。
母は母なりに、自分の物差しの中で「もっとこうした方がいい」と、己の価値観を押し付けてきます。
その言葉の裏には「その方が、お前も幸せになれると思う!!」という意味が含まれているのですが、幸せの基準なんて人それぞれじゃん?
母と私の「幸せ」の判断基準は全く一致しない。
そもそも私は、幸福に対する感度が異常に低いから、「幸せ」という感覚をまともに分かっちゃいない。
次回、約5年ぶりに実家に帰ったら、改築されて全く別の家になっていた話を書こうと思います。笑