強くてニューゲームを始めましょう
皆さんこんにちは!齋藤です。
今回は久々に、私が病気に至るまでの過去について、書こうと思います。
内容としては重いかも…と思ったので💡
あまりダークになり過ぎないように、「おそ松さん」でも入れながら書きますね。(なんでやねん)
私は『自己肯定感』が低すぎる
私は「自己肯定感」が異常なほど低いです。
周囲から「何でそこまで?」と疑問を持たれます。
自己肯定感が低い事を初めてきちんと認識したのは、今から約4年前でした。
前職の職場の先輩から「どうしてそんなに自己評価が低いの?」と本気で心配の言葉をかけられ、衝撃を受けました。
自分で自分に対して否定的。
他人からの褒め言葉は素直に受け入れられない。
否定された言葉は、何倍も大袈裟に受け止める。
言葉を発する本人は、そこまで深く考えて言っているわけではないのに。
自分自身が無意識だった事を、初めて認識しました。
まして「自己肯定感」なんて言葉、考えた事もありませんでした。
四半世紀以上の時間をかけて自分に染み付いた感覚は、そう簡単には変わりません。
日本人に多いと言われる「自己肯定感」が低い人。
私の場合は自己肯定感が低いだけではなく、自責癖が強いです。
事あるごとに、「私ってホント、何の価値も無いダメ人間」という風に考える癖がついています。
即ち自分に対してめちゃくちゃ厳しく完璧主義なんです。
例えば、仕事で何かタスクがあったとしましょう。
急な案件がふってきて、出来なかったとしましょう。
はい、私ってダメ人間!!
これ自責癖ですね。
大量のタスクを抱えていて、そこまで急な案件で無かったにしろ、何かしら漏れていたとしましょう。
私ってダメにんげーーーん!!
まあ泣かんけどな。笑
常にこんな感覚で仕事をしていたので、そりゃ精神的にはめちゃくちゃ疲れるわけです。
自分で言うのもなんですが、多分「超ど変態」の称号を得るほど、仕事に対してはクソ真面目だったと思います。
完璧にこなせない、出来ない自分が許せなかった。
0か100かの考え方しか出来なかった。
そんなんだから、毎日「人生無理ゲー」って思ってました。
根っから自分を否定する性格と、その当時仕事で色んな事が重なって、まあ現在に至るまで鬱病と向き合っているわけであります。
元々自分でパンクするまで抱え込んで自爆する性格なので、当時は仕事の悩みを誰にも打ち明けず、「周りはもっと大変だから、私なんかが弱音を吐いてはいけない。周りに比べたら私の悩みなんかちっぽけだ」と思い自分に言い聞かせ、自分の心の声を聞かず、自分の身体の不調を見て見ぬ振りをしていたら、ある日突然感情が決壊しました。
忘れもしない、2017年12月1日です。
次の日から1週間、会社に行けなくなりました。
身体もメンタルもボロボロだったのに、見て見ぬ振りをした。
今となっては、自分の身体のSOSを無視した事を後悔しています。
回復に途方も無い時間がかかり、良くなったり悪くなったりを繰り返し、精神を蝕み、多大な時間を記憶と共に失いました。
自業自得と言われればそれまでですが、改めて、自分の身は自分で守らなければと痛感しました。
会社は、身体もココロも守ってくれませんから。
『自己肯定感』が低くなった原因は過去〜母親編〜
病気になってからカウンセリングを受けるようになり、そこから心理療法士さんと、過去の記憶を遡る作業をしたのですが、そこで分かったことが沢山ありました。
まず、私の自己肯定感の低さは、病気を発症するまでの人生にあります。
幼い頃、癇癪持ちの父親が怖く(今は一番の理解者でとても仲良しです)、母親に引っ付いてばかりいました。
父親を恐れロクに会話もせず、母親とばかり一緒にいた。
これが良くなかった。
私の母親はとても我が強く、自分の価値観や考え方が正論と思っている人です。今でも。
自分の考えや意思は決して曲げません。
つまり、自分の価値観にそぐわないものは全て否定します。
私は生まれてこのかた、母親からほとんど褒められた記憶がありません。
幼い頃は母親の用意した服や決めた髪型で何とも思いませんでしたが、ある程度の歳になれば自我が芽生え、自分の好みや可愛いと思うものに自分を変えていきます。
一番分かりやすい服装やメイクや髪型、目に付く部分は全て否定されました。
私の高校時代は青文字系雑誌が流行っており、ZIPPERとか大好きでした。
それがまあ母親受けの悪いこと悪いこと。
好きな服を着れば「何その格好、変なの」。
髪を染めれば「何その髪」。
ピアスを開ければ「何でピアスなんか開けてんの」。
メイクをすれば「何その化粧」。
何と否定されようと、私は自分の好きを通したけれど、この頃もう否定される事に慣れてしまっている自分がいました。
否定されるだけでなく、母親は世間体を気にする人で、私の親戚一同は「なんでなん?!」と思うくらいの秀才一族だったので、出来が悪く、周りと違った格好をする私は浮いて比較されました。
「お前も〇〇さんを見習って」
「どうしてお前は」
「何で普通に出来ないの」
大学進学と共に上京してからも、母親からの呪縛は続きました。
定期的に母親と電話で会話をしていたのですが、私のアルバイトや、就職や、全てに置いて母親の価値観を押し付けてきました。
母親としては、「世間一般的な普通の幸せ」になって欲しいという想いと愛情だったのでしょうが、 その愛情表現は自我の押し付けという形で、自分の言う事を聞かない娘が気に食わなかったと思います。
比較され続け、否定され続ける。
本当の「私」を認めてくれない。
母親の言う通り、優秀な親戚達のように、お利口さんにお行儀良く生きてこれなかった私は親族の恥かよ。
『自己肯定感』が低くなった原因は過去〜社会人編〜
大学を卒業してから2回転職しましたが、その2つの職場の上司がなかなかの鬼軍曹達で、今の言葉で言うパワハラ?的な要素を持つ人達でした。(両方とも上司がそれってどんな強運と当選確率なんだww)
もちろん、その上司達から学んだ事は沢山あります。
まだ社会人として間もなかった私に、仕事のノウハウやタスク管理、仕事に対する意識の高さ、お給料を貰うと言う事の意味…などなど。
その上司達の教えが、今になっても私の仕事に対する根幹には生きています。
ただ、根本的に彼らは私の母親と感覚が似ていて、自分の価値観や考え方が正論と考え、それを押し付ける性格でした。
私とは人生経験や得意なスキル、キャリアも全く違うこの上司達が、私に求める理想像や要求レベルが高過ぎて、それに追いつけない私は徹底的に叱責されました。
「こんな当たり前の事、普通言われなくても分かるだろ!」
「言われなきゃ分からないとか幼稚園児かよ」
「あ?なんて言ったか聞こえねーよ!」
「仕事遅過ぎ、亀か」←www
「辞めた前の人だったらもっと仕事出来たのに、何で同い歳のお前は出来ないの?」
「お前ほんとバカか」←www
言葉遣いもキツかったのですが、デスクで周囲に人がいる中での公開処刑はなかなか応えました。
もちろん、叱られるような仕事しか出来ない私が悪い。
上司の期待に応えられない私が悪い。
社会人になって、身内からだけでなく、他人からも周囲と比較され、否定される。
やっぱり私は何の取り柄も無い、価値も無い、無能な人間なんだ。
社会人になってからのこの経験は、私の自己否定と自責癖を更に加速させました。
私を否定しない人達との出会い
どこに行っても、何をしても、私は否定される。
そこで選んだ術が感情を全て殺し、外に出る時に偽りの「私」を演じ、仮面を被って生きることでした。
本体の「私」は傷付かないし、異星人みたいな私が人間社会で生き抜くサバイバルスキルはコレしかない!←マジ発想ww
そんな中、前職の仕事で鷲尾さんと知り合いました。
実は知り合ってから仲良くなるまで、5年もかかりました。笑
鷲尾さんはもの凄く警戒心が強いのと、知り合った頃は兎に角おっかなかったんですね。笑
仕事に対して真っ直ぐで厳しく、管理職で仕事も出来るし、部下からの信頼や尊敬も厚い、何をやらせても100点みたいな秀才で、それこそ前職の上司達のトラウマもあったので、一定の距離を置いていました。
そんな中、登山を通して今ではすっかり仲良くなり、何でも思ったことを言い合い、相談出来る、親友のような存在になりました。
実はめちゃくちゃ面白い人で、根っから優しい性格の人ってこういう人を言うんだろうなーといつも感心します。
そして一番驚いたのは、鷲尾さんは私を一切否定しない事でした。
何を言っても
(´・ω・`)この顔である。(知り合った当初からのギャップよ笑)
人からの優しさや愛情に対する感度が鈍く、褒め言葉や真っ直ぐな優しい言葉をかけられても、未だに素直に受け止めることが出来ない私ですが、それでも鷲尾さんは私がどんなにヒステリックを起こしても、向き合い続けてくれます。
もの凄い精神力ですね。
私を否定しない人なんて、この世界にいるんだなーというのはただただ驚きでした。
やっぱりこの人も異星人なのかも。笑
それから、二十歳を過ぎるまで怖くてまともに会話が出来なかった父親。
今は家族の中で一番の理解者です。
二十歳を過ぎてから色んな事を話すようになりましたが、会話をするようになってから気がついたのは、父は私の事を否定せず、「お前の人生だから、好きなように生きなさい」と言うことでした。
振り返ってみれば、父は母とは真逆の性格で、私の容姿の変化に何も文句を言わないどころか、褒める人でした。
若い頃からモテて社交的な人だったので、元々女性を褒めることも自然に出来る人です。
髪型を変えれば「似合ってるよ^^」と言い、ピアスや服装に関して母親が文句を言っても「誰に迷惑をかけるわけでも無いからいいだろ」と。
病気になった時も、母親は「おかしい!」と私の病気を受け入れられずに否定的でしたが、父親は「俺のせいかな(´;ω;`)?」と泣いちゃうような、心の優しい人です。(そして父のせいではないのだ)
根本的な考え方を変えるには時間がかかる
これだけ「私」は他者から否定されてきた人生なのだから、恐らく私は変人でぶっ飛んでいるんだろう。
そりゃそうだ。
ぶっ飛んだ生き方をしてきたので、類は友を呼ぶじゃないですが、私の周りは変人・奇人の集まりで動物園みたいです。笑
骨の髄まで自己否定の考え方が沁みついている。
私が自分で自分を認めてあげられるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
いいか、これが…
うせろ。笑
Twitterフォロワーの皆さまへ
このブログで自分の病気のこと、登山記録のこと、様々な事を自分の言葉で発信するようになり、有り難いことに多くの方が読んで下さっているのですが、個人的に思い入れのある方々がいます。
数ヶ月間だけ私が個人でTwitterを使っていた時に、フォロワーとして絡んで下さった方々です。
特に、Sさま、Hさま、Kさま、Tさま。(アカウント名書いて良いか分からないので、イニシャルですみません)
Kさま、Tさまに関しては、インスタでもフォロワーです🙇♀️
いつも美しいお写真と優しい言葉に、お人柄が出ております。
TさまがTwitterで呟かれた
「怪我なく無事に帰ってくる奴が一番偉い」
というお言葉は、今でもずーっと大切にしております。
それからSさま。
私がTwitterを始めて間もなく発信したブログで、一番最初に「ブログ全部読みました。面白かったです」と頂いた感想、一番心に響いたコメントです。
自分の文章に自信が無く不安だった当時、その言葉がどれだけ嬉しかったか。
ブログを書く度に、頂いた言葉を思い出します。
ブログを始めた当初から読んで下さっているので、勝手に私の成長を見守って頂いているような感覚でおります。(勘違いだったら全力で土下座します🙇♀️笑)
避難小屋いやほい…🥺
そしてブログを通して、フィールドテストという新しい機会を下さった、INNER FACTの首藤様。
いつも優しいお言葉と共にリツイートして下さって、本当にありがとうございます!
これからも応援させて下さいませ😆🌟
Twitterは文字数が限られていますが、限られた文字数の中だからこそ、そこで発信される言葉は、自分の心に響くものが数多くあります。
そして皆さん言葉のセンスがハイレベルで、些細な一言の呟きで、たまに腹抱えて笑っています。爆
普段Twitterのアカウントは鷲尾さんに管理を一任しておりますので、私から直接お礼のお言葉をお伝えする機会が無いので、恐縮ですがこの場でお礼を述べさせて下さいませ🙇♀️
個人的に思い入れのある方が多くいらっしゃるので、「いいね」やリツート、そして何より、こんな拙い文章を読んで下さっている事をとても嬉しく思っております。
Twitterの読者様は、インスタの写真から入るのとは違って、文章から私を知って下さっているので、写真1枚で好き嫌いを判断するという先入観も無いでしょう。
「何も取り柄が無い」と自信の無かった私に、『自分の言葉で文章を書く』という取り柄を与えて下さったのは、ブログを読んで下さっている皆様です。
鷲尾さんによく言われるのは「齋藤さんの言葉は、届く人にはきちんと届くよ」ということ。
「Twitter読者の皆様には、そうであって欲しいな」僭越ながら思い、いつもブログを書いております。
鷲尾さんから皆さんの投稿や活動は伺っているので、一方的に愛着というか、勝手に親近感が湧いております。笑
いつも本当にありがとうございます!
今後も暇つぶし程度に、読んで頂けたら嬉しいです😊🌈
で、結論何が言いたいの?って話ですが…
結論はありません!
つい先日まで症状が悪化して、こんな感じだったんですけど↓
今は症状も落ち着いて、文章を書く気分になったので、過去の事をつらつらと書いてみました。
ノンフィクションです。
まあ、病気の症状はしんどいし疲れます。
何に疲れるって、自分に疲れます。
誰しも気分の波はあるものですが、私の場合はそれがスペースマウンテンみたいな感じです。笑
急上昇、急降下、急旋回ってやつですね。(急上昇はほとんど無いけれど)
それでも向き合って、上手く付き合っていくしかないですしね(´・ω・`)焦らず気長に
これから寒くなりますので、皆さま風邪など引かれませんように。
お体ご自愛下さいませ。
年末にかけてお仕事が多忙になる方も多くいらっしゃると思うので、体調崩されませんように。
疲れた時は無理をせず、休息をとることが大切です。
自分の身体とメンタルヘルスが、何よりもインポータントですよ!