登山を始めて1年の節目…劔岳へ挑むまでの心境〜決意と覚悟〜
皆さんこんにちは!山ガールになりたい女子・齋藤です。
私事ですが、9月の中旬に登山を始めてから1年の節目を迎えました。
節目となる山はどこを登るか…考え始めたのは数ヶ月前。
7月に御嶽山の山頂に立った時、雲間に浮び上る槍ヶ岳の姿が見えました。
「1年の節目は、やっぱり槍ヶ岳かな」と鷲尾さんにこぼしたのを覚えています。
しかし、私の中で引っかかっていた言葉がありました。
知人から言われた「登山1年目で劔岳に登ったら凄いね」。
劒岳。富山県・立山連峰に聳える『岩と雪の殿堂』と称される岩峰。
標高2,999mにして、国内一般登山道の最難関ルートと言われ、登山者憧れの場所。
齋藤:ねーねー、登山1年の節目に劔岳ってどう?
鷲尾:マジで言ってる(´⊙ω⊙`)!?正気
齋藤:うん(´・ω・`;)
鷲尾:あー(´⊙ω⊙`;)
なんだこの会話。ww
鷲尾:マジかー( ´△`;)劔に…する!?
齋藤:うっ(´・ω・`;)
鷲尾さんがこんな風に躊躇うのは稀です。
鷲尾さんのリアクション、イコール山のヤバさを意味します。
(山に対しての知識が乏しい私にとって、このリアクションが一つの指標になる)
それから時間は流れ、私の決心は固まりました。
齋藤:節目は劒岳に行こう。
鷲尾:!?(´⊙ω⊙`)
齋藤:(`・ω・´)キリッ
鷲尾:…分かった。これからの山行は劔岳に向けて、岩綾の多い場所を重点的に行くからね!劒岳までの山行で、厳しいと判断したら、劒岳は諦めてもらうよ。
齋藤:うん(`・ω・´)
そこから鷲尾さんと劒岳登山に向けての山行が始まりました。
8月〜9月にかけての山行➡︎甲斐駒ヶ岳(直登ルート)、宝剣岳、西穂高岳の登山は、全て劒岳に向けて、私が岩場での身体の使い方や高度感に慣れ、スキルアップ出来るように選んだ山です。
順調にスキルアップを重ね、ぼんやりとしていた「劒岳」の存在が、徐々に浮かび上がってくる。
それと同時に、この頃から私の中で葛藤が始まりました。
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いざ決めたものの、万が一、最悪死ぬかもしれない…
鷲尾さんが怪我を負ってしまうかもしれない…
そしたらどうしよう。
万が一、鷲尾さんが負傷したら、私に何が出来る?
パニクって何も出来ないんじゃ…
結局私は1年間鷲尾さんにおんぶに抱っこで、何も学んでいないじゃないか…
私の身に何か起こっても、自分で行く事を選んだのだから仕方ないけれど、鷲尾さんを巻き添えにする権利は無い。
私は結局自分のワガママばかりで、自分の身の丈をきちんと理解出来ていないのかも知れない…
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罪悪感や恐怖心と闘いながら、それよりも強く芽生える感情。
それは、私自身が登山を通して自然の脅威を目の当たりにて体感した「生きたい」と強く願う感情。
「何を当たり前の事を」と思うかもしれませんが、私自身、約3年前に「うつ病」を発症しました。
ここからは、私のうつ病との闘いと、現在の回復に至るまでをお話します。
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最初は処方された薬による副作用に苦しみ、日々の日常生活を送るのがやっとの状態に。
堪らず主治医に相談し、薬を変えた後、私は一変しました。
肉体的副作用は治まったものの、精神的副作用が爆発しました。
※誤解の無いよう述べさせて頂くと、うつ病は科学的に言うと、脳の神経伝達物質(セロトニン、ノルアドレナリン、ドパミン)の働きが低下する事によって、気分の落ち込みが生じます。即ち脳の働きが原因の病気です。
毎日「死にたい」と思いながら生きるようになり、睡眠薬で眠りについても、毎晩悪夢に魘される。
起きている間は、四六時中「死にたい」と思う。
「私が生きている意味って何だろう」と、答えの出ない疑問を毎日毎日考えていました。
それは人生で感じた事の無い絶望感と虚無感に苛まれる苦しみ。
生き地獄。
「こんなに辛くて苦しい想いをしてまで、何故生きていなければいけないのだろう」
「今、この電車に飛び込めば…」
「今、このビルから飛び降りれば…」
この感情から解放されたら、どんなに楽だろう。
「死にたい」けれど、「死ねない」。
私はただの死に損ない。
感情が暴走し、自分で自分のコントロールが出来ない日々。
そんな廃人と化した日常は、ほとんど記憶がありません。
後に主治医に相談して分かった事ですが、この症状は「アクチベーション・シンドローム」と呼ばれ、処方された薬が合わなかった事が原因でした。
更にこの後薬を変え、症状はだいぶ落ち着きました。
自分が知っていた「うつ病」の症状を遥かに上回る過酷さ。
実際にネットやテレビで取り上げられている情報は一部である事が多く、もっと一人一人繊細に薬の処方や治療法が必要な難しい病気であると思います。
直接「死」に至る病気では無いけれど、自分で自分を「死」に至らしめるかもしれない病気。
原因は人それぞれなので、一概には言えません。
簡単に語れない病気ですが、誰でも発症しうる身近な病気です。
決して他人事では無いですし、より多くの方に「まずは病気について知ってもらいたい」、そんな想いで、このブログを書いています。
投薬治療を続けるうちに、症状がだいぶ回復したので、主治医と相談して薬の減薬をすることになりました。
うつ病の「抗うつ薬」は、いきなり断薬すると離脱症状(簡単に言うと禁断症状)が出る可能性が高く危険な為、薬の量を徐々に減らしていき、最終的にゼロにする、という方法をとります。
私の減薬は失敗しました。
身体は見事に離脱症状を発動させ、全力で薬の減薬を拒否しました。
入浴中に反応を起こし、浴槽から出た時に、意識はありましたが倒れました。
「往生際が悪い。この期に及んで…あんなに死にたいと思っていたのに、身体は全力で足掻いている…」
朦朧としながら「私の身体は生きたいんだな」と感じたのを覚えています。
翌日主治医から、直ちに薬の処方量を戻す指示が出され、私の減薬はより慎重にならざるをえない事となりました。
少しずつ回復はするものの、長期戦になるのは不可避でした。
そんな私を見るに見かねた鷲尾さんから熱心に誘われて、登山を始めました。
1年以上前の話です。
始める前は躊躇していたのに、始めてからのめり込むまで、時間はかかりませんでした。
特に私の性に合ったのが、ボルダリングや岩登りです。
目の前のホールドとスタンス、一挙手一投足に全身で集中する行為は、かなり効きました。
登山を始めてから暫くして、岩登り要素のある山へ行くようになってから、私の考え方が、以前とは明らかに変わった事をはっきりと覚えています。
眼下に数百メートルの規模で切れ落ちる断崖。
一歩踏み誤まったら、怪我をするか、最悪死ぬかもしれない世界が目の前にある。
死ぬのは怖い
「死にたい」とあれほど強く思っていた人間が、「死」に対して強く恐怖を感じた。
私は…死にたくない。
それからの私は、「死にたい」と思わなくなりました。
「生きたい。生きて、もっと色んな景色を見たい、もっと色んな山に挑戦したい」。
岩登りをしていると、「命」と全力で向き合っている感覚が湧きます。
目の前の岩に全神経を集中し、全身全霊で挑む時は、他の雑念が無くなり、命を燃やしている気がしました。
劒岳に登った時も同じでした。
「落ちたらどうしよう」という感覚より勝ったのは、「今」、目の前の岩場に集中すること。
私が生きている意味なんて、考える必要は無い。
劒岳登頂という「成功体験」から生まれた「自信」。
自分に自信が持てず、悲観的に生きてきた考え方は一変しました。
そして今、私自身の体験や想い、病気について少しでも多くの方の「知るきっかけ」になればという 新たな気持ちでブログを書いています。
私の場合は結果として、登山が病気の症状改善に大きな影響を与えましたが、もちろん登山を始める前も、始めてからも、様々な治療法を試しました。
登山以外でも効果があったのが、「認知行動療法」です。
日本ではまだまだ心理学による「カウンセリング」に対して、世間の知識や認識が乏しいのが残念ですが、カウンセリングは心理療法士が科学的根拠に基づいた方法で治療を行うので、結構効きました。
(しかし、自分に合ったカウンセラーの方に出会うまでが大変だったりもします…)
何の治療が自分に向いているのか?
試行錯誤、模索する期間は長く続きました。
どんな病気も怪我も、実際に体験した人でなければ、その痛みも苦しみも分からない。
私自身、「うつ病」を患った事を悲観的に捉えていません。
(もちろん、回復した今だからこそ言えることです)
自分自身が病気を発症し、肉体的にも精神的にも擦り減らす過酷な状況の中にいたからこそ、語れる体験がある。
それを伝えたい。
私の場合は、ブログが一番アウトプットしやすい場所だと思っています。
「うつ病」の病歴をブログに記すかどうか、正直とても悩みました。
普段からブログを読んで下さっている方の中には少なからず今後、私に対して「うつ病の人」というフィルターをかけて見る方がいらっしゃってもおかしくないと思います。
「うつ病」に対して、世間の偏見は減ってきているように思いますが、まだまだその細かい実体験や症状に対する認識が、世間に広まっていないのも事実です。
当たり前ですよね。
身近で無ければ、親近感が湧きづらいのは当然です。
それでも私は、ブログを読んで下さっている沢山の方々から届く「声」に、本当に救われました。
いつも楽しく読んでいます。
その言葉に幾度となく元気を貰いました。
だからこそ、ブログを読んで下さっている皆様に伝えたい、
私が劒岳に決意を持って登った事、
様々なご意見を覚悟の上で、今回のブログを書いているという事。
私の成長を見守ってくれている皆様に、劒岳登山に至るまでの経緯を知ってもらいたかった。
「登山1年目で劒岳登頂って凄いね!」というお言葉は大変嬉しく受け止めておりますが、私が唯一競っていたのは、他でも無い「自分自身」でした。
ライバルは、常に「弱い自分」。
自分を肯定する事が出来ないでいた私は、
「劒岳登頂」という圧倒的な成功体験を通して、
少しでも自分の努力を褒めて
「自信」を持てるようになりたかった。
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今、画面越しにブログを読んで下さってるお一人お一人が、私の原動力になったのは間違いありません。
この場をお借りして、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
次回以降、劒岳登山の本編に入ります。
これからも、皆さんの登山に役立つような情報や教訓、そしてクスッと笑えるような楽しいブログを発信出来るように頑張りますね😊
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。